11.パリ五輪、ブレイキン、そして・・

Since  1984

Commercial image of the film BREAKIN' 1984

  

  

  

パリオリンピックが間近です。

7月26日(金)から8月11日(日)までの17日間。

例によって開会式の二日前から、サッカーとかは先行実施ですが・・

  

いや、始まってしまいました。

これ、開会式当日に書き終えてアップ完了。

 

 

さて・・

私、スポーツは好きなんですが、勝利至上主義ではないところがあって・・

特にオリンピックに関してはそう。 “ 参加はアマチュアのみ ” “ 参加することにこそ意義がある ” というクーベルタンの思想が色濃かった時代、子供の頃から見てますからね。

 

■クーベルタンとオリンピズム 「参加することに意義がある」

https://www.joc.or.jp/olympism/history/coubertin/

 

 

したがってメダルカウントには正直興味無し。 金合計〇個、銀合計〇個、銅合計・・ みたいなのには全く興味が無い、そういう意味です。

(というか、メダル云々よりベスト8に入るだけでそれはもう凄いと思うんだけど・・ 表彰台に上る人しかクローズアップしないメディアには違和感ありありですね。)

 

基本、思い入れのある競技の “ 良いプレー優れたプレーだけ見れれば良い派 ” だと思う。自分は。

上位を目指し、常人では考えられない努力をしている選手・プレイヤーの方々の誤解を招きそうだけど、結果至上主義はあんまり自分には馴染まなくて内容・中身・プロセス重視ですね。 その辺のスタンスはもう変わらないと思う。死ぬまで。

 

勝ち負けよりプレーの美しさやその人のバックグラウンドの方に遥かに興味がある。メダル(結果)じゃなくてプレーの質(内容)を見るし、そんなの自分基準で好き勝手に楽しんで見ればいいだけの話・・ そう思う。

スポーツ好き(=ほどんど勝利渇望)とスポーツにまったく興味無し、この両者の間で私みたいなタイプは少数派なのかもしれない。

まあ、優勝が懸かっているような試合であればそれはもう勝ちにこだわりますがね。

(ハハ、言ってること矛盾してますが)

それに・・ そもそも勝ち負けって、時の運だと感じること多くないですか?

長期の連戦だったらそりゃ実力はキッチリ反映するけど、短期決戦って(オリンピックもそうだけど)結果は相当、運に左右されている気がする。

 

もちろん、種目によって番狂わせが起きやすい種目とそうでない種目があるのは確かですが、

一試合一試合における勝ち負けなんてホント形容しがたい運に左右されてますよ。

だから、負けても運が加勢しなかった、そう思うことが多い。

野球見てても正体不明の流れで傾いて行くじゃないですか。  本当に不思議。

どんな知将が十分な戦力を投入しても、勝てないときは勝てない。

そんなところもおそらく、自分が勝利至上主義派ではなくて、内容重視派になっている(なって行った)理由でしょうか。

 

 

 

 

というわけで、今回のパリ五輪ですが・・ 結構見ると思います。

問題が噴出した、日本が抱える諸問題の合わせ鏡のような前回のオリンピックと違い、肩の力抜いて楽しめるかと。

 

で、一番の注目株は・・ やはり “ ブレイキン ” ですね。ダンスやってる身としては興味津々であることは間違いない。

  

  

  

  

 

DANCING BREAKIN' CAT

イメージとしては、こんな動きのダンス。

 

 

 

まあ、見てて楽しいし(それが一番)、ある種の気付きももらえるという一石二鳥の部分もあって見るわけですけど、プラス、他のダンスジャンルがアピールして、奮闘している姿を見るのはメチャクチャ嬉しいじゃないですか。

更に、それは別なダンス、もちろん自分のダンスカテゴリーにも良い影響しか与えないし・・

どういうことかって?

 

映画業界の例で説明するのが一番わかりやすいと思うので、そうしてみますが、

一本、メガヒットが出るじゃないですか。 そうすると他の映画の観客動員数にも良い影響が出るんです。

他社とか系列とか、そんなものはまったく関係なく。

観客目線で考えてみればわかるはず。

「あー、おもしろかった。他も見てみようかな」となるケースが多い。 統計的に、それはもう明らか。 影響度は毎回、様々だろうけど。

これは映画の世界の話だけではなくて、文化全般に言えることだと思います。

一つのヒットとかアピールは周辺も潤すんですね。 言うなれば「おすそ分け」みたいなものでしょうか。

 

ブレイキンのようなヒップホップカルチャーの中で育まれたソロのバトルと、優雅さを競うようなペアダンスとでは違い過ぎるのでは?

いや、それでもダンスというカテゴリー全般への注目は高まりますよ。

自分に合ったダンスをやってみようかな・・という “ きっかけ ” は連打される訳で、大なり小なり良い影響が周辺に波及していくものと考えます。

 

 

さて、そのブレイキンですけれど・・  こちら首都圏では「聖地」とされる場所があって、それは・・

「ミゾノクチ」です。

川崎市、溝の口。

ブレイキンを踊るダンサーたちが集結する場所。

 

最近の様子は知らなかったけれど、15年くらい前かな・・ 夜、東急田園都市線からJRの南武線に乗り換える機会が多くて若いダンサーをよく見てましたよ。

私はとりあえず芸術系出身なので、「流麗で凄いな」と立ち止まって眺めていた。

これだけのものを全部タダで見れるのにみんな眺めないなんて何てもったいない。とも感じていた。

このコンコースで言えば、視界の中に入っていても認識してない人がほとんど、ほぼ97%だったんじゃない?

彼らブレイカーは周囲の迷惑にならないように、そういうポジション取りで、騒ぐわけでも無し、かなり気を使ってやってましたよ。 それ以降の経緯はよくわからないけれど。

クレームが寄せられたという記事もありましたが、数万人行き来して神経症的にクレームを言うのは5人とかじゃない? 実際、みんな視界には入っていても見ていませんでしたから。3%のシンパシーを感じたり好奇心旺盛なタイプの通行人を除いて。

 

したがって、今回もしも日本勢がメダル、特に金メダルを取るようなことがあれば、ごくわずかなクレーマーに負けてダンサーたちを追い出すことなく、四半世紀の長きに渡り、踊る場所として開放していた川崎市にも「金メダル」だと、私は思いますよ。(1998年にこの広い通路が整備され、そんなに間を置かずに始まったようですから25年以上は確実な模様。)

才能同士が集まる場所が無ければ、どんな才能もそこまでの開花は無理ですから。とりわけダンスというジャンルにおいては。

別に目くじら立てなかったJR東日本には・・ 銅メダルかな。(笑)

 

「なんだお前、メダルにこだわってるじゃん」とか言われそうだけど ww

はい、今回だけは勝ちにこだわって、ブレイキンの日本代表には高みを目指して欲しいです。

問題は、寝不足?

いや、この種目の日程は二日間限り。それも週末 金曜土曜ということで全く問題無いでしょう。

 

それと、2028年のロサンゼルスオリンピックではこの競技は外れています。

その後の復活も大いに考えられますが、今回のみという可能性も無くはない。

だから思う存分、この与えられた場で一撃、何かをやって欲しいですね。

 

(2032年のブリスベンオリンピック〈オーストラリア〉での復活可能性は結構あるみたいですよ。)

 

 

 

 

 

 

■【観戦ガイド】

まず、時差です。

どれくらいの時差があるかと言うと、8時間です。日本の方が8時間進んでいます。

ところが現地フランスではサマータイム導入中なので、1時間だけ針を進めており、オリンピック期間中の時差は7時間です。

 

というわけで、

日本の方が7時間進んでおり、今回のブレイキンは暑さを避けるため現地パリの夕方16時予選スタート。

三位決定戦と決勝戦は現地時間21時15分からの予定。

 

すなわち、日本では深夜からの視聴・応援ということになります。

 

 

 

《女子・B-GIRL》

 

日本時間・8月9日(金) 23時に予選スタート。

 

 

翌10日(土)

 

深夜3時 準々決勝・4試合開始

 

3:45 準決勝・2試合開始 

 

4:15 三位決定戦、決勝戦

 

 

(予選が終わってすぐ本選〈準々決勝〉開始ではなく、深夜1時~3時はインターバルだと思われます)

 

 

 

《男子・B-BOY》

 

日本時間・8月10日(土) 23時に予選スタート。

 

 

翌11日(日)

 

深夜3時 準々決勝・4試合開始

 

3:45 準決勝・2試合開始 

 

4:15 三位決定戦、決勝戦

 

 

(こちらも予選が終わってすぐ本選〈準々決勝〉開始ではなく、深夜1時~3時はインターバルだと思われます。 選手の体調考えればそりゃそうだよね。)

 

 

 

オリンピック 日程 & 結果

https://olympics.com/ja/paris-2024/schedule/breaking?day=9-august

 

 

 パリ2024 ブレイキン観戦ガイド! 注目ポイント・日本代表・試合日程

https://olympics.com/ja/news/paris2024-breaking-schedule

 

 

 

民放やNHKでもちろん放送してますが、ネットでは TVer でほとんど観れますよ。

こちら ↓

https://tver.jp/olympic/paris2024/

 

 

 

より詳しく知りたい人はこちらがおすすめかな。

 

★RedBullによる記事  ブレイキン、まずはここから >>

(成り立ち解説としておすすめ)

https://www.redbull.com/jp-ja/collections/breakdance-how-to

 

 

★RedBullによる記事 「ブレイキンとは何か?」 がよくわかる ダンスの基礎知識

 

https://www.redbull.com/jp-ja/breaking-summary

 

 

 

 

 

■【さらに予備知識を仕入れたい方はこちら】

 

ブレイキン関連のいろいろなリンクです。

 

 

ダ★ンスク!【インタビュー前編】ブレイキンを五輪へ!日本BBOY界のリーダー【KATSU ONE】

https://d-s-k.jp/interview/39845/

 

ダ★ンスク!【インタビュー後編】ブレイキンを五輪へ!Shigekixら日本人メダルの可能性?!【KATSU ONE】

https://d-s-k.jp/interview/39846/

 

 

 

★ふらっと溝の口【ブレイキン日本代表を応援しよう】 (フェイスブック)

https://www.facebook.com/groups/1856038994633650/permalink/3856408061263390/

 

 

 

★ブレイキン オリンピックで採用された理由はなぜ? 反対!いらないという声

https://alister.stellagray2345.com/breaking-788

 

・・うん、言いたいことは痛いほどよくわかる。 採点されることによって、あれは良くてこれは採点基準外で不必要みたいなことになり、カルチャーとしてのブレイキンの豊かさが失われる危惧があると・・ 

一般受けするスタイルのみに偏り選別されていく・・そんなことになりはしないかと。 自分たちはお互いの個性を尊重し認め合っているのに・・ とりわけ、今後新しく入って来る世代に固定観念を植え付けかねない諸刃の剣であると。

世間に対する若者の反感・訴えをかなり含んでスタートした文化なのに、そこまで優等生になっちゃっていいの?

みたいな。

 

表現力を問われる競技が、競技化が進む過程で、厳密に採点しようとするプロセスでどうしても生じてしまう副作用すなわち『画一化圧力』をどうはね返して行くか、あるいは上手にいなして行くのか、というのは永遠の課題なんだよね。 フィギュアスケートなんかも同様の悩みを抱えて来たのだと思う。

単にダンスということであれば屈託なく好き勝手に表現できていたり、新しいものを気軽に組み込んでみたり出来ていたものが、スポーツ競技としてガチガチに固めてしまうと・・個性の軽視や削ぎ落しに繋がりかねない、そんな危惧は確かに・・ 的外れではないと思う。

自由な発想で組み込んでいたものが、採点というものさしに頼ってしまい、発想の豊かさを失ってしまうのではないか?気付かないうちに。 そういう不安は決して、考え過ぎではないと思うよ。

 

でも今回、一回やってみてどういう結果が待ち受けているのか、影響がどの程度のものなのか、それが想像している範囲内なのか、大したことなくしょぼいのか、それとも想像以上の凄い影響があるのか

具体的に一度経験してみるのはこのダンスを愛する全員にとってプラスになるのではないかと。

いや、ブレイキンのみならずヒップホップカルチャーが好きな人間、あるいはすべてのダンスを愛する人間にとって良い体験になる気はしている。

だから、オリンピック自体は楽しめればそれでいいんだけど、それが終わった後に起こる波の解析、検証がとても大事になってくる。 日本人は終わったあとの検証が実に甘いことが多いからね。

偉そうなこと書いちゃいましたが・・  そんな意見ですね。私は。

  

  

 

以下、川崎・溝の口とブレイキンに関連する記事です。

 

《有料記事》

★上 ミゾノクチ ブレイキン聖地、不協和音 「迷惑行為」の見方消えず/ダンサー「競技に向かぬ」

https://mainichi.jp/articles/20240724/ddm/041/040/081000c

 

 

 

★アーバンスポーツ 神奈川の現場

ごみ持ち帰り、掃除、あいさつ欠かさず ブレイキン聖地へ地元理解を獲得

https://www.kanaloco.jp/sports/misc/article-1087832.html

 

 

★ブレイキンの聖地・溝の口(PDFファイル)

https://www.city.kawasaki.jp/250/cmsfiles/contents/0000150/150921/23kawasakiwakamonoleaflet.pdf

 

 

★パリ五輪で注目ブレイクダンス 聖地は溝ノ口、代表候補はイッセイだよ

https://www.nikkansports.com/sports/news/202104100000495.html

 

 

★郷ひろみさんと一緒に踊っていたブレイキンチーム 川崎市から世界へ ブレイキン界を牽引する石川勝之さん

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/5ec1756e2e9d06bdd3027ed299cfd3858788a02b

 

 

★ブレイクダンスの聖地に、文化の発信基地! ダンスや食を柱に出会いと交流を仕掛ける

https://project.nikkeibp.co.jp/hitomachi/atcl/study/00080/

 

 

★ブレイクダンスの「聖地」川崎 普及へ取り組み進む(朝日新聞・2021年1月)

https://www.asahi.com/articles/ASP1W6WNLP1TULOB018.html

 

 

★世界に知られる「ミゾノクチ」、ブレイキン踊るため国内各地から川崎に移住

 

https://www.yomiuri.co.jp/sports/actionsports/20220807-OYT1T50067/

  

 

 

★川崎在住のブレイクダンサーの世界大会出場を応援したい!(2022年に行われたクラファンの結果)

https://kawafun.com/project/s/project_id/54

  

  

《有料記事》

★パリオリンピック ブレイキンがわかる - 日経ビジュアルデータ

 

https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/olympic2024-paris/breaking/

  

  

  

  

■【映画にみるブレイキンの歴史】

 

1984年に公開された『ブレイクダンス』(Breakin') この映画が日本においてブレイキンが広まるきっかけでした。

当時はネットなんてものはなかったし、テレビもそんなストリートダンスなんて理解していなかったから

(ギリ、原宿の「竹の子族」。興味のある方は調べてみてね)

この頃は、映画が非常に大きな “ 起爆メディア ” だったのだと思いますね。(雑誌もそこそこかも)

 

Commercial image of the film BREAKIN' 1984

 

 

 

それでは、 

ここに至るまでのダンス映画の歴史というのを、駆け足で見てみたいと思います。

きっかけが世に出るまでの流れを知れば、もしかしたら、未来を描く助けになるかもしれないからね。

 

 

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ハリウッドにはミュージカル映画(歌って踊るパートが見せ場の映画)の黄金時代というのがありました。

1930年代がその黄金期で、今日では見ることのない群舞、華麗なマスゲームのような作品もあった。 表現としてはかなり挑戦した時代で、その最後を飾ると言ってもよいのが1939年に公開された「オズの魔法使」。

80年以上前の作品ですが、21世紀の今見ても斬新な作品です。

 

 

 

 

その後、群舞ではなくソロで踊れるスターがより注目されるようになり、

フレッド・アステア のような稀有なダンサーが主役を務めるようになって行きます。 そして、彼・彼女らによって群舞というよりペアやソロで華麗に踊る、エレガントなダンス映画が量産される時代になります。(ざっくり言えば1935年~1955年くらい)

ただし、これらの映画は屋外で撮影するのではなく大掛かりなセットでの撮影がほとんどすべてだったので物凄い製作費がかかり、観客の好みの変化もあってその後は次第にミュージカル映画・ダンス映画はコンスタントに作られなくなります。

観客側の変化というのは、パニックムービー(転覆した豪華客船や燃えさかる高層ビルから脱出するような話。70年代に顕著)あるいはサスペンス、SF、恋愛もの青春もの、文芸作品の映画化、バイオレンス、ホラー、セクシー路線と、とにかく多様化したので、歌とダンスを前面に押し出した作品というのが相対的に減ってしまったということ。

それでも、

ウエストサイド物語 1961年(4400万ドル・65倍)←ここの倍率については下で説明します。

(最近、スピルバーグがリメイクしましたね) あるいは、

サウンドオブミュージック 1965年

のような傑作も突然現れたりしましたが、

ダンス映画が前面に出て話題になるようなことは ほとんど無くなった。1960年代後半から1970年代後半にかけて、歌いそして踊る映画の影が薄くなり冬の時代が続く。

(ミュージカルは主人公がいきなり歌い始めても違和感のない映画、ダンス映画はミュージカルを含むダンス全般を前面に押し出した映画、そういう認識で話をしています)

 

そんなダンス映画ですが、その1970年代後半に異変が起きます。

  

 

Commercial image of the film SATURDAY NIGHT FEVER 1977

 

 

 

そう、『 サタデーナイトフィーバー 』 の登場ですね。 当時のディスコ(今のクラブ)で踊る若者の姿を描いたこの映画は北米にとどまらず、日本でも社会現象といわれるほどヒット。 フィーバー(熱・熱狂する)という言葉は “ フィーバーしてる? ” といった日常語の仲間入りをし、さすがにそれは言われなくなりましたが、パチンコでそれまで “ 大当たり ” と呼んでいたものが “ フィーバー ” へと変更され、21世紀の今も当時の熱狂ぶりを伝えています。(笑・いや、これ本当の話ですからね)

この映画がどれくらいのヒットだったか? 同じ年に公開されたスターウォーズ(最初のやつ。エビソードⅣ)とその興行収入で比較してみると・・

 

 

(最初の)スターウォーズ 1977年5月25日(米)(7億7500万ドル・製作費1100万ドル・70倍)

 

サタデーナイトフィーバー 1977年12月16日(米)(2億3700万ドル・製作費350万ドル・68倍)

 

 

 

これ、簡単に言うと、スターウォーズの三割の興行収入を叩き出したわけです。

これはね・・ 凄まじいんですよ。 スターウォーズのヒットぶりも物凄いんですが、サタデーナイトフィーバーもね、凄い。 両作品とも、おそらく映画館で観てないと会話についていけないというか、つまはじきにされる・・そんな状況だったのではないでしょうか? 当時のアメリカでは。

 

 

 

それでは、

以下、サタデーナイト・・ から始まった ダンス映画の快進撃 を年表にしてみますが、 

 

 

サタデーナイトフィーバー 1977年(2億3700万ドル・68倍)*

 

グリース 1978年 (3億9600万ドル・66倍)*

 

グリース2 1982年 (1500万ドル・14倍)*

 

フラッシュダンス 1983年4月15日公開 (2億ドル・29倍)*

 

ステインアライブ 1983年7月11日公開 (1億2700万ドル・58倍)*

 

マイケルジャクソン・スリラー 1983年12月2日公開(ミュージックビデオ)*

 

フットルース 1984年2月17日公開。 (8000万ドル・11倍)*

 

ブレイキン 1984年5月4日公開。(3900万ドル・32倍)*

 

ブレイキン2 1984年12月19日公開。(1500万ドル・5倍) カナダ含む*

 

ダーティダンシング 1987年(2億1400万ドル・47倍)*

 

 

 

 

シカゴ  2002年(3憶ドル・68倍)*

 

マンマ・ミーア! 2008年(6億9460万ドル・13倍)*

 

ラ・ラ・ランド 2016年(4億7200万ドル・16倍)*

 

 

 

・・ざっとこんなもんでしょうか。

カッコ内の数字は全米興行収入。一部カナダを含んでおりその場合には、ただし書き有り。 英語版のWikipediaに記載された額を転記しました。

もちろん、2000年代と1970年代の貨幣価値には差があるので同じ額でも全然価値は違いますよ。 同じ1億ドルであれば昔の方が驚異的な興行収入・・ということになると思います。

 

次に 〇倍と書いてあるのは製作費に対し何倍の興行収入があったのかを示す数字です。

これ・・ 凄くないですか?

 

製作費の倍の興行収入があれば間違いなくヒット、5倍とかだと製作陣は泣いて喜ぶ大ヒットだと思いますが、

これらのダンス映画、20倍~60倍超の作品がゴロゴロあるわけです。

つまり、

『ダンス映画は儲かる』 『ダンス映画は赤字になりにくい』 

ということらしいんですね。

そう、『ダンス映画は滅多にコケない』んです。

裏を返せば、どんな国にもそういうのを見たい客層、固定客がガッチリあるのだと思います。

アメリカに限らず、インドとかもそうですしね。 日本もそうですよ。

ダンスに関して、「少なくとも見るのは好き」な人の潜在数はかなりのものなんですよ。

 

(更に言えば通常の映画と異なり、ダンス映画では劇中でかかった音楽・サントラのレコードやビデオの売れ行きは格段に違いますし、歌い手はテレビに出たりするし、ヒットしたダンス映画の波及効果はかなり広範囲である、そういうことになるかと。)

 

 

 

さて、上記の簡単な年表を見ればわかるように、

サタデーナイトフィーバーの1977年からダーティダンシングの1987年までのほぼ10年ほどで、現代的で、今日まで語り継がれる主要なダンスムービーが相次いでリリース された事がわかります。

(特に83年と84年が豊作ですね。もちろんスリラーも含めて。)

 

 

実際、これらのストーリーにはかなり似たようなパターンがあって、私が見るところ それは3パターン。

 

 

「行き場の無い俺の無限パワー、今日こそブチまけてやるぜ!!」

サタデーナイトフィーバー系 フットルース、ステインアライブ

 

「ワタシを馬鹿にした男ども、見てなさい。ひざまずかせてやるから」

フラッシュダンス系  シカゴ

 

「なんなの?この感覚。 これって・・もしかして恋?」

ダーティダンシング系 グリース、グリース2

 

 

近年はちょっとひねった話が主流で、上記3タイプにカテゴライズできなかったりしますね。

 

 

では、

1984年公開のブレイキンとブレイキン2はと言えば・・

予告編その他が見れますので皆様、自由にご判断ください。

 

基本的には明るいバトルだけど、女性がストリートジャズというかフェミニンなまるでエアロビクスでもやり始めそうなファッションで、面白いですね。

(まあ、話の流れ上、それで通してるわけなんだけど)

レッグウォーマーってアイテム、ほぼ必需品(笑)だった時代のような気がするけど・・わかります?

 

今のB-GIRLが真似てこんな格好で出てきたら、逆にかなりインパクトがあると思うんだけど。(笑)

あ、悪ぃ。 ちょっとフザけ過ぎた。www

 

 

 

  

 

 

 

 

以下、「ブレイキン」のシーンを4つほど。

 

 

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

このオーディション風景は、明らかに前年(1983年)に公開された「フラッシュダンス」へのオマージュで、思わず笑ってしまうんだけど良く出来てますね。 コミカルなんだけど元ネタへのリスペクトを感じます。

当時、「ブレイキン」を見に行く層というのは当然メガヒットの「フラッシュダンス」は鑑賞済みのはずなので、映画館は相当盛り上がったと思いますよ。

それにしてもヒロイン(ルシンダ・ディッキー)はジャズダンスの素養があるから、こういうスタイルの踊りは見事にハマるよね。  

  

  

  

 

 

 

それでは次、「ブレイキン2」の予告編を。

 

 

 

 

 

 

 

それでは、もう一つおまけ映像ですが、1984年5月封切のブレイキン、同年12月のブレイキン2に続き、同じプロダクションが製作し翌年5月に公開した Rappin' (ラッピン!) という映画の予告編です。

当時、急激に盛り上がりつつあったヒップホップ系のノリで作った作品のようですが、前作・前々作とは雰囲気とか踊りがかなり違うので、面白いです。 映画の中のお話だから現実のダンスカルチャーを100%そのまま伝えてるわけじゃないとは思うけれど、時代を写し込んでいて印象深いですね。

 

 

 

 

 

 

さて、ここまで 1984年に公開された『 ブレイキン 』(Breakin')について、アメリカのダンス映画の簡単な歴史と共に見てみました。

 

要は、1977年末のサタデーナイトフィーバーに始まった “ ダンス映画リバイバル ” の流れの中で1984年にエッジの効いたアピールが出来たということ。 そして映画の力は大きく(映画に触発された雑誌の力もかなりあったと思いますが)、これで各国にブレイキンというダンス、並びにヒップホップの文化とその多様なダンススタイルが広がり始めたと・・

そんな解釈で良いのではないかと思ってます。

 

もう一度書くと・・

ブレイキン 1984年5月4日公開。 

 

おっと失礼。日本公開は1ヵ月ほど後でした。

1984年6月23日公開。

 

ですから、40年なんですよ。 このダンスが “ ブレイクダンス ” という名前で日本に紹介されてから。

 

でも、急速に追いついたのではないでしょうか。 本場のアメリカを退けるダンサーが日本にいるのだから。 いや、凄い。

 

 

というわけで、この40年後の8月、9日と10日の深夜は7時間の時差を超えて、パリの地を応援したいと思います。

 

 

 

 

 

 

最後に・・

この「ブレイキン」が競技としてオリンピックで披露されるのは、今回のパリが初めてなのはもちろんその通りなんですが、実は、

1984年のロサンゼルスオリンピックの閉会式(8月12日)で大々的に披露されています。

 

 

その様子が ↓ これ。

 

ですから、やはり40年なんですね。 今回いきなり新種目として出て来た印象の強いブレイキンですが、種は案外このような形で、まかれていたのかも。

そして1984年のオリンピックは、このダンスを世界中に知ってもらう助けとなり・・ では、今回のオリンピックの影響はどうか?  勝ち負けを超えて、良い流れをもたらすオリンピックであって欲しいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらはセレモニーの全体像ですが、上のダンス映像はこの後に続くものだと思います。

 

 

 

 

 

それでは、また。

(熱いバトルの終了後にまた何か書かせて頂きます)