オリジナルの曲があり、それをサルサバージョン化したものを並べてみました。
(下の方がサルサになります。)
一般的な洋楽(ポピュラーミュージック)とサルサ、
そのフィーリングやリズムセクションの違いがわかると思います。
(気に入ったら是非アルバム等を買ってくださいね~)
1. What you won´t do for love.
Bobby Caldwell
Carlos Oliva Beo (Salsa Version)
2.Killing me softly with his song
Roberta Flack( 1973 )
DOBLE R CURACAO
ラストわずかに切れてますね。 最後まで聞きたい人であれば、
DJルイスのこちらの方をどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=MUL5IyBrbUw
3.MISIA:逢いたくていま
Piano Version
Salsa Version
4.ピンクパンサーのテーマ
(映画 1963年)
Salsa Version “パンテラマンボ”
・・コロンビアのサルサオルケスタ
“La-33(ラ・トレインタ・イ・トレス)”によるアレンジ。
5.私はピアノ
高田みづえ - 私はピアノ(作詞・作曲 桑田佳祐)
サザン・原 由子さんのが著作権上だと思いますがネット上でのリンクが安定せず、
(聴きたい人は是非買ってね。)
こちらからも出せないため、高田みづえさんのでお送りします。
(こちらも気に入ったらぜひアルバム買ってね。)
歌うまいし、この曲に合ってるよね~ 彼女。
Salsa Version オルケスタ・デ・ラ・ルス - 私はピアノ
最初の動画がリンク切れで再生できなくなったので、急遽、代打でカバー曲を紹介してみます。 ボーカルは全然違いますが、サルサというかラテンっぽい部分は結構出ているかと。
この “ 私はピアノ ”。 サザンオールスターズの名曲ですが、
そのバンドの命名からしてサルサとはかなり縁があります。
サルサの巨大レーベルであった“ ファニアレコード ” が擁するミュージシャンを結集した
“ ファニアオールスターズ ”
これと、ニール・ヤングの“ サザン・マン ”
“ サザン・マン ”+“ ファニアオールスターズ ”=“ サザンオールスターズ(南のすべての星達)”
となった訳です。
(リーダーのルーツが湘南に深く関係していたことも、もちろん影響していますが。)
40年を越える人気を持続しながら疾走するスーパーバンドの名前、
これは桑田佳祐氏が命名した訳ではなくて、当時のプロデューサー宮治 淳一氏が
風呂で思いついた・か風呂から上がって閃いた(笑)名前とされます。
(1975年秋の出来事。 ファニアの来日は1976年9月だが彼が閃いた時は、
その来日コンサートの宣伝やニール・ヤングの曲がラジオから流れていたそうです。)
サザンのメジャーデビューは1978年ですが、これでバンド名がきっちり確定。
もちろん、それまでも名無しバンドでやっていた訳ではなくて、
それまで使っていた幾つかの名前は、かなりムチャクチャで面白いんですがね。
オルケスタ・デ・ラ・ルス(光の楽団の意)は1984年結成の日本のサルサバンド。
1993年、NHKの紅白歌合戦に出たり、同年の国連平和賞を受賞したりと
多彩な活動が目を引きますが、サルサ好きの間では“ デラルス ”で通ります。
海外、ラテン世界では超有名バンドですね。
近年は同じく日本の老舗サルサバンドであるオルケスタ・デル・ソル(太陽の楽団の意)とタッグを組んでコンサートを行うことも多いです。
さて、とりあえず5つ並べてみましたが・・
どうでしょう?
同じメロディでもオリジナルとサルサバージョンでは曲の印象が
かなり違うことがわかります。
そして、サルサバージョンに共通して流れるフィーリングも感じて頂けたかと思います。
それでは次に、ダンサーがその音楽をどう解釈し、足をステップしていくのかを説明します。